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5.各地にある赤い靴はいてた女の子の像

 (清水歴史探訪より)

 きみちゃんの母、かよさんの像は北海道留寿都(ルスツ)村にも残されています。

 

「なんにもない所なんですけれども、やっぱり開拓の母ということで、このように留寿都村の所の大地の所にこの岩崎かよさんの開拓の母という像が造られておりました。

「これお母様の方なんですね。」

「はい、かよさんですね。かよさんが2年間鈴木志郎さんと結婚されて、開拓事業団として頑張るんですよね。そこがうまくいかなくて、札幌に出て志郎さんは新聞社に勤めます。そこで知り合ったのは野口雨情さん、ご一家だったそうです。」

「この留寿都村のお母さんの像は、これはなんでしょう。クワかなんか農作業をしているような」

「そうですね、開拓したわけですからね、開拓事業団として入ったわけだから、クワみたいなものを掲げて持って手をかざして、この開拓するべきところの農地というか、野っぱらを見ているんじゃないでしょうかね。」

「当時の北海道の開拓というのもとんでもなく大変なことだった。」

「とんでもない。『平民農場開拓団』というところ前あったそうですけれども、そこの所も火事を起こしたりして、やっぱりうまくいかなかった。そしてその留寿都村は2年間で閉じたそうです。閉鎖したということですけれどもね。その当時、やっぱり厳しい世の中だったということですね。生きにくい世の中だったということですけれども。でもこのお母さん、かよさんはやっぱり芯のある立派な方だったという風に思います。」

 

留寿都村にある赤い靴はいてた女の子『母思像』 

(清水歴史探訪より)

きみちゃんの像も、清水以外にゆかりの各地に建てられています。

照澤さんは、各地の像についても調べていました。

 

「それぞれでデザインが違うんですね。」

「はい、違いますね。これが山下公園ですね。これ六本木にあるんですが、すごい小さくて、すごい線が小さくて、なにか不思議な感じのデザインですよね。」

「そうですよね、すこしデフォルメ(=対象を変形して表現すること)された感じですね。」

 

 六本木(麻布十番)にある赤い靴はいてた女の子『きみちゃん像』

さすが東京、『きみちゃん像』にお金を置いていく人が多く、対策として、みかげ石の貯金箱をおいたそうです。

赤い靴をはいていた女の子は、今この街に眠っています。

(清水歴史探訪より)

「そしてこれはね、函館にあるんですけれども、タクシーの運転手さんに、『赤い靴像の所に行ってください』といったらタクシーの運転手さん知りませんでした。それで一緒になってね、地図を見ながら、主人と3人で探して。あ、なんだこんな所にあったんですかね、と笑った話もあるんですけれども。」

「こちらは鞄を持っているんですね。」

 

函館の赤い靴はいてた女の子『赤い靴のの少女像』

 (清水歴史探訪より)

「そうですね、横浜へ行く船へ乗った所だそうです。結局、鞄は預けたんですよね。

 そしてこれは、小樽。」

「北海道の」

「北海道の小樽です。3人ですが、実際は会っていないですね」

「これは志郎さんと

「志郎さんとかよさんと、それから赤い靴の親子像に想像してきみちゃんが造ってありますけれども」

「このシーンは実在しなかったんですね。」

「ええ、そうですね。」

 

小樽にある赤い靴をはいた女の子『赤い靴 親子像』

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