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3.幻の『羽衣木橋』の橋のたもとへ向かって
(清水歴史探訪より)

 

 

「今ちょうど私たちが歩いているのが、日の出埠頭の倉庫街のところなんですけれども、当時この場所というのはどんな様子だったんでしょう。」

 

「海の中ですね(笑い)。」

 

「海の中ですか。」

 

「巴川の河口の中ですね。ですから、昔の巴川の河口というのは、約1キロ近く広がっていたんですよね。」

 

「かなり幅広いですね。」

 

(清水歴史探訪より)

「だから、壮士の墓ですね、幕末の次郎長さんが葬っていただいた。壮士の墓あたりが東側の土地の境目というか、半島みたいな、先端です。大正初めぐらいから埋め立てを始めて。ですから、この羽衣木橋も大正12年に廃止になったんです。だから、清水港の拡張とともに、橋も消えたと。築地町というのがございます。だいたいこのあたりですね。築地町というのは、東京の築地もそうですが、埋立地なんです。読んで字の如しで、土地を築く、埋立地というのは名残りですね、唯一の。」

「今私たちが歩いているこの道路のあたりも、もう波の下だったわけなんですね。」

「そうですね。ですから、幕末には巴川の橋は、河童橋ですか、銀座の奥の。旧東海道しかなかったですね。だから、港橋・富士見橋、今はありますけれど、そのころは河童橋・旧東海道の清水銀座の奥の橋しかなかった。だから、明治の初期のころの地図を見ると、その東海道の橋だけ。あとは船で渡る。」

     歌川(安藤)広重が描いた「駿州清水湊」
(清水歴史探訪より) 
 「清水町のほうから見ますと、こっちを向島(むこうじま)と言うように、島じゃないんですけど、そういうような呼び方をしていたんじゃないですか。」

「やっぱりこう、海の何か広がっている雰囲気がありますね。」

「そうですね、幕末あたりの絵図を見ると、やはり松林に囲まれてる絵が多いですよ。」

 

 昔の清水湊は、巴川の両岸。向こうの海側の土地が「向島」

「今は全く風景が変わってしまっているわけなんですね。」

「そうですね。少しでも、1本でも2本でも松があればね、名残りがあるんですけど。最近は、津波の防波堤とかそんな話になってきているようです。」

 はがき2枚続きの大きさ。富士見寺として知られる竜華寺からの眺め。

  この葉書は、撮影日がわかっている。画面全体に黒煙を上げているのは、大正9329日、旗艦榛名を始めとする大日本帝国海軍第二艦隊が清水港に入港したときの様子である。当時の新聞は、黒鉛が湾内一杯にたなびいたと報じている。

  遠景は、向かって左手から、清見寺~薩た峠~富士山~愛鷹山。右手、巴川河口から貝島にかけて「羽衣木橋」がかかっている。江戸の情緒あふれる風光から近代工業国家へ変貌しつつある、まさにその時代の様子が伺える。羽衣木橋の上には「最勝閣」も写っている。

(清水歴史探訪より)

「ええ、これからも景観が変わっていくんでしょうね。」 

「そうですね。」

 

 

・・・車が通る音・・・

 

  

「巴川の河口のところまでやってきました。現在の国道の羽衣橋なわけですね。ここを渡って巴川を越えていくわけなんですけれども、今の巴川は狭いですね。」

 (清水歴史探訪より) 


 

「そうですね。これで50メートルあるかないかじゃないですか。そんなもんですね。」

 


「はい。昔は、この河口というのはもっとずーっと広かったわけなんですね。」

「広いですね。ここから壮士の墓、あのあたりまで水じゃなかったですか。」

「はい。」

「ですから、800メートル近く河口があったんじゃないですか。」

「今はたくさんの車が通っている国道ですけれども、このへんも水があったわけなんですね。」

「そうですね。ちょうどここが150号と149号の境目だそうです。」

「羽衣橋のちょうど真ん中が、国道番号が変わるんですね。」

「そうです。」

「普段通っていると、全然気が付きませんね。」

「これもマニアの人しか知らないみたいですけれども(笑い)。」

「そうなんですか。」

「ええ、150号線が駒越のほうから延長してきたもんですからね、それで境目がここになった。」

149号というのは、短い国道ですね。」

「そうです。」

 

・・・・車が通る音・・・

 

 

 
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税理士法人いそべ会計
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代表 磯部和明
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■東海税理士会所属
■日本公認会計士協会所属
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