コロナ時代の現代貨幣理論(後半)
2021-01-28
5.税金にこだわらず政府は財政支出が可能だ。
まず、一般的な考えですが、政府は税金を集めて公共サービスなどの財政支出に充てております。したがって、税収がなければ、道路も橋もできないことになります。しかし、現実には、まずは予算を決めます。予算は収入予算と支出予算があり、財政支出は支出予算に基づいて支出されます。収入予算はあくまでも見込みで見込み通り入らないこともよくあります。コロナで税収が減っても財政支出は予算どおり使うことができるのです。国の場合には、日銀からの借入金や国債の発行により事後的に収支を合わせているだけなのです。
MMTの理論では、税収とは関係なく、インフレが起きない限り必要な財政支出を行うべきと考えております。
さらに、政府の財政支出を税収見込みに合わせて予算決定すると大変なことになります。国全体の総収入と総支出は、輸出入がない限り必ずイコールになります。誰かの支出は誰かの収入です。
したがって、国家収入+企業収入+家計収入=国家支出+企業支出+家計支出とういう計算式が成り立ちます。戦後の高度成長期には、国家の収入と支出はトントンでした。家計は黒字で、企業は赤字(損益は黒字、収支は赤字)でした。家計はこの結果貯金が増えました。企業は借金をしても設備投資をしたのです。
ところが、1990年代に入りますと、企業は儲からなくなり、同時に利益と減価償却の範囲内でしか投資をしなくなったのです。家計は家計が苦しくなっても貯蓄に励みました。この結果、国家が赤字財政を組む必要が生まれたのです。
まさに、国家支出+民間支出-国家収入=民間収入の算式どおり国家支出が民間収入を決定す事態になってしまったのです。
政府は、『企業が設備投資も賃上げもせずに守銭奴のようにお金を貯めている』とか『なんとか家計が無理してお金を使うようしたい』と考えましたが、国家支出を増やさない限り国家経済自体がシュリンクしていったのです。
今では、財政支出が景気を左右するようになってしまいました。こうなったら、税収にこだわらず、まずは財政支出をしなければいつまでたっても日本経済はデフレのままであります。
6.国債はいくら増えても金利は上昇しない。
一般の考えでは、国債が増えれば増えるほど、資金がすべて国債に流れ、金利は上昇して民間企業は設備投資のためのお金が借りられなくなる。したがって、これ以上の国債発行はストップすべきである。
しかしながら、現実問題として、国債の発行残高がいくら増えても金利が上がるどころか下がっていき、今ではマイナス金利です。
MMTの考えでは、金利はインフレ率であがるのであって、国債発行と金利は関係ないであります。
私個人の考えでは、日銀の金融政策によって金利は決まるのであります。日銀は、今のようにデフレの時には、金利の引き下げだけでなく資金の量的緩和を行って金利を下げました。しかし、前の白川総裁の時には思い切った金利引き下げを行わず、デフレを増長させるだけでした。
7.政府が借金を増やすと、国民は貯金が増える。
政府の国債の所有者は、日銀をはじめとする金融機関であります。金融機関には日本国国民の多額の預金があります。これを見て、『政府の国債が国民の金融資産の範囲内にとどめないと、政府の国債を買う人がいなくなってしまう。』と真剣になって、話す人がいます。
しかし、現実には政府の国債の増加につれて民間(家計)の預金が増えているのです。これは、政府の国債(借金)の増加によって国民の預貯金が増えるからであります。
簡単な例として、政府がコロナ補助金を国民に10万円ずつ配りました。政府はその分借金が増えましたが、国民はその分預金が増えたのです。例え、コロナ補助金をすぐに使ったとしてもそのお金を受け取った人の預金が増えるのです。
MMTの考え方は、誰かが借金(債務)をすると誰かの預金(資産)が増え、逆に誰かが借金を返す(債務が減る)と誰かの預金が減る(資産が減る)という考えです。
8.終わりに
政府の国債は、国の借金と言われております。しかしながら、紙幣はお金と呼び、日銀の借金とは呼びません。銀行預金は財産という認識はありますが、銀行の借金という認識はありません。
しかし、国債を日本国民が所有しているかぎり、お金や銀行預金と同様に国民の財産であります。
金本位制の時代は、金鉱を見つけた国は豊かになりました。今は、不換紙幣の時代であり国の裁量でお札を刷れるようになりました。インフレにならない限り、国がいくら借金しても心配ないという考えは、デフレ脱却の処方箋ではないでしょうか?