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6.静岡市東海道広重美術館に案内されて
(清水歴史探訪より)
 本陣の蔵のあったところには、現在、『静岡市東海道広重美術館』が建っています。学芸員の大石沙織(おおいしさおり)さんに伺いました。
『広重美術館』の全体
『広重美術館』の入り口
「当館はですね、全国に4つある『広重美術館』の中で一番古く、最初に『広重美術館』という名前を冠した美術館になります。収蔵品が全部で、浮世絵を中心に1400点弱くらいありまして、毎月展示替えを行いまして、様々な展覧会を行っております。
栃木県那須郡那珂川町
馬頭広重美術館
岐阜県恵那市の
中山道広重美術館
山形県天童市の広重美術館
東海道広重美術館
広重は特に、江戸時代の浮世絵師の中でも、『六大浮世絵師』に数えるほど有名なんです。今までにですね何万という作品で、数が把握できないほど出しているんですね。」
 「ではまだまだこれからも広重の作品が見つかる可能性も…。」
 「はい、あると思います。」

六大浮世絵師(ろくだいうきよえし)


際だった光彩を放つ6人の浮世絵師
鈴木春信、鳥居清長、喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎、歌川広重

鈴木 春信(すずき はるのぶ)

 

享保10年(1725? 明和7年(1770

 

江戸時代中期の浮世絵師で、京都に出て西川祐信に学び、後に江戸に住んだといわれる。細身で可憐、繊細な表情の女性像で知られる美人画の浮世絵師である。浮世絵版画における「錦絵」技法の大成者としても知られる。

鳥居 清長(とりい きよなが)

 

 宝暦2年(1752)~ 文化12年(1815)

 

 鳥居派四代目当主で、鳥居派の代表的な絵師である。鈴木春信と喜多川歌麿にはさまれた天明期を中心に活躍し、それらや後の写楽・北斎・広重と並び六大浮世絵師の一人とされる。鳥居派は役者絵を専門とする画派だが、むしろ清長の本領は一世を風靡した「美南見十二候」、「風俗東之錦」、「当世遊里美人合」などの美人画にある。八頭身の美人画は、今日世界的に高く評価されている。

美南見十二候
風俗東之錦
当世遊里美人合

喜多川 歌麿(きたがわ うたまろ)

 

宝暦3年(1753年)頃? ~ 文化31806

 

 国際的にもよく知られる浮世絵師として、葛飾北斎と並び称される。繊細で優麗な描線を特徴とし、さまざまな姿態、表情の女性美を追求した美人画の大家である

東洲斎 写楽(とうしゅうさい しゃらく

 

能役者・斎藤十郎兵衛(さいとう じゅうろべえ)とする説が有力

宝暦13年(1763)~ 文政3年(1820)

 

 

 江戸時代中期の浮世絵師で、約10か月の短い期間に役者絵その他の作品を版行したのち、忽然と画業を絶って姿を消した謎の絵師として知られる。写楽は寛政6年(1794年)5月から翌年の寛政7年(1795年)3月にかけての約10か月の期間内に、145点余の作品を版行している。目の皺や鷲鼻、受け口など顔の特徴を誇張してその役者が持つ個性を大胆かつ巧みに描き、また表情やポーズもダイナミックに描いたそれまでになかったユニークな作品であった。その個性的な作品は強烈な印象を残さずにはおかない。

葛飾 北斎(かつしか ほくさい)

 

宝暦101760)~ 嘉永21849

 

 代表作に『富嶽三十六景』や『北斎漫画』があり、世界的にも著名な画家である。

歌川 広重(うたがわ ひろしげ)

 

寛政9年(1797)~ 安政5年(1858

 

 本名は安藤重右衛門。かつては安藤広重とも呼ばれたが、安藤は本姓、広重は号であり、両者を組み合わせて呼ぶのは不適切である。ゴッホやモネなどの画家に影響を与え、世界的に著名な画家である。

 

 広重は生涯に15シリーズもの東海道を描いており、その代表的なものには次の様なものがある。 

 

1832----保永堂版東海道五十三次 天保3年(1832) 広重36

1840----佐野喜版「東海道五十三次」ー「狂歌入東海道」 天保11年(1840) 広重44

1842----江崎屋版「東海道五十三次」ー行書東海道 天保13年(1842) 広重46

1843----伊場仙版「東海道五十三対」 天保14年(1843)広重47歳。

1847----丸清版「東海道五十三次」ー「隷書東海道」  弘化4年(1847) 広重51

1847----藤慶版「東海道五十三図会」ー「美人東海道」 弘化4年(1847)広重51

1844-48--有田屋版「東海道五十三次」 弘化年間(1844-1848) 広重48-52

1848-54--蔦屋版「東海道五十三次」  嘉永年間(1848-54) 広重52-58

1852----村市版「東海道五十三次」ー「人物東海道」 嘉永5年(1852) 広重56

1854-55--丸久版「双筆五十三次」ー「双筆東海道」 安政元年~2年(1854-1855)広重58-59

1855----蔦屋版「東海道五拾三次名所図絵」ー竪絵東海道」 安政21855)広重59 

 「そしてこちらの展示なんですけれども、主な内容はどんなものがあるのでしょうか?」 
「広重の中で特に有名な『保永堂(ほうえいどう)』という出版元が出した『東海道』を初め、東海道三役と呼ばれる『隷書(れいしょ)東海道』『行書(ぎょうしょ)東海道』、晩年の傑作『名所江戸百景』といった作品が揃っております。」
 「出版元によって色々と作風なども違ってくるんですか?」
歌川広重 保永堂 東海道
 

保永堂版の「東海道五拾三次」は、東海道に53箇所あった宿場町に、日本橋(江戸)と三條大橋(京都)を加えた55枚の作品である。この『東海道五拾三次』の出版は、日本橋に店を構え「鶴屋」で知られていた大手の「仙鶴堂」(せんかくどう)(鶴屋喜右衛門)と、霊岸島塩町にあった小さな地本問屋(じほんとんや)「保永堂」(ほうえいどう)(竹内孫八)の両版元による共同刊行で始まった。

途中で、仙鶴堂が出版から手を引き、保永堂の単独刊行となり「保永堂版」と称されている。日本橋の浮世絵は、仙鶴堂版と保永堂版の2種類ある。また、保永堂は図柄を変えて版木を彫直し「第二版」を制作したため,版木の異なる浮世絵がある。

日本橋
蒲原
由比
興津
江尻
府中
仙鶴堂版 日本橋
歌川広重 隷書(れいしょ)東海道
日本橋
蒲原
由比
興津
江尻
府中
歌川広重 行書(ぎょうしょ)東海道
 
 『行書東海道』には山田屋版と江嶋屋版の2種類がある。当初江崎屋が版元であったが、後に山田屋に版権が移り、日本橋・袋井・御油等が新しい図柄で刊行された。
日本橋(江嶋屋版)
蒲原
由比
興津
江尻
府中
日本橋(山田屋版)
歌川広重 名所江戸百景
 

『名所江戸百景』(めいしょえどひゃっけい)は、広重が安政3年(18562月から同5年(185810月にかけて制作した広重最晩年の作品である。最終的には完成せず、二代広重の補筆が加わって、「一立斎広重 一世一代 江戸百景」として刊行された。(全部で119枚)

(春の部)1. 日本橋雪晴
(夏の部)43. 日本橋江戸ばし
(秋の部)74. 市中繁栄七夕祭
(冬の部)100. 浅草金龍山
 「『保永堂』というのが、版元、いわゆる出版社なんですが、広重は、生涯で20種類以上出しているので、それぞれの特徴を掴んでこういった通称が付けられております。」
 「それで広重という方なんですが、実はどんな方なんですか?」
 「もともとは武士の子として生まれているんです。ですが、絵師の歌川豊広という方に入門しまして、浮世絵師として活躍していきます。結構珍しいパターンではあるんですけれども。」
 「やはり東海道を旅しながら描いていたんでしょうか。」
 「はい、こちらがですね、かなり諸説がありまして、今なお謎の多い話ではあるんですけれども、最近の説では、もしかしたら、行ってないかもしれない、と言われております。なかなか記録が無いので、何とも言えないところになります。」
「静岡市内を描いているような作品というのは、あるんでしょうか?」
 「有名な作品も実はありまして、当館のある由比のお隣の宿、蒲原の作品なんかは、特にそちらにあたります。
 そちらもまた、謎の多い作品で、雪が降る…降ってない所(蒲原は雪が降らないのに)にどうしてだって話もあるんですけれども、広重らしい情感溢れる作品になりますので、優品の一つとして紹介されています。」
「この周辺を描いたものはどんなものがありますか?」 
「やっぱりあの由比の一番の名所になります、薩埵峠(さったとうげ)から富士と駿河湾を描いた作品が、有名な作品として残っております。
 東海道はやっぱり海沿いの道になりますので、やっぱりこういった海の作品、あるいは江戸時代の皆さんが大好きだった富士山などが一つセットとして描かれることが多いです。
 薩埵峠は今でも昔の雰囲気が残る場所として、数少ない名所になっています。地形が残っているというところは珍しいので、浮世絵の中でそういったものが忍ばれるというのはかなり素敵ではないでしょうか。
 由比の町は、それでもまだ、東海道の中でも古い街並みが残ってますので、遊びに来てもお楽しみいただけるかと思います。
 『保永堂』にはないんですけれども、他の東海道作品の中には薩埵峠に行く倉沢地区ですとかそういった所も描かれています。」
「昔の雰囲気と、それから現在と、見比べることができるわけですね。」
 
「はい、そうなりますね。こういった風景版画は絵葉書、のような役割を持っていましたので、今としてもその旅の様子がわかるといった作品になります。」
 「7月(平成24年)に行われるのは、どんな展覧会になるんでしょう?」
 「北斎と広重が描いた東海道という展示が、7月16日まで行われています。
 見付から京まで、それぞれ二人が描いた東海道を見比べる形で展示をしております。
 
写真は、昨年(平成23年)から今年にかけて行われた
『広重 東海道53次』
 
 北斎がやはり西洋表現、構図ですとかそういったものにかなりこだわって描いた人だと言われていますし、広重は情感豊かに、叙情性(じょじょうせい)豊かに描いた絵師と言われていますので、全く同じ風景版画の絵師でも印象がかなり違うんですね。
 そういった所がご覧いただいて見比べて頂ければと思います。」
 
 
写真は、今年の春に行われた『美人画の魅力』
 
残念ながら、今年(平成24年)7月のポスターは見つかりませんでした。
 
 
 
「大石さんにとって、この広重というのはどんな存在なんでしょうか?」
 
 
 「そうですね、初めて見た時に、こんなに綺麗な絵を描く人がいるんだ、とすごく感動したんですね。絵と向き合う時に感動をくれる、そういった絵師になります。
 
 私は広重が描く夜が、かなり好きです。
 
 かなり墨や、藍色(あいいろ)の濃い色合いの美しさや、そういった中に描かれた人々のちょっとした仕草や目線といったそういったものに絵師心が見えるといいますか。そういった所がすごく好きです。」
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税理士法人森田いそべ会計
〒424-0816
静岡市清水区真砂町4-23
TEL.054-364-0891
代表 森田行泰
税理士
社員 磯部和明
公認会計士・税理士

1.各種税務相談・税務申告
2.記帳業務
 3.給与計算・決算指導

■東海税理士会所属
■日本公認会計士協会所属
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