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 5.当時をしのぶ物
(清水歴史探訪より)
威容を誇った井上馨候の別荘ですが、今、当時を偲(しの)ぶ物はあまり残されていません。
 
「今、井上馨の別荘を偲ぶように残っているような物っていうのは何かあるんでしょうか。」
「うーん、ほとんどなくなってしまいましたね。埋蔵文化財センターの北側の方に、今駐車場になっていますけれども、子安(こやす)観音といって岡崎先生が造った観音様がありました。四隅に士農工商(しのうこうしょう)という五十センチぐらいの人形が付いた観音様です。商人はソロバンを持って、武士は刀を持って、農業はクワを持って、工業はハンマーを持っている人形が付いて観音様です。本体は、子安観音という、物凄い良い顔をした赤ん坊を抱いた銅像があったんです。その観音様は、現在、江尻の江浄寺(清水歴史散策 第八話 『信康公菩提寺、江浄寺を訪ねて』参照)にいってます。
(清水歴史探訪より)
それから、仁王さんも、一応凝った仁王さんが一対あったんですが、それもどこにいったかわからないんです。
もう一つは鐘楼が、釣鐘があったんです。この釣鐘も岡崎雪聲(おかざき せっせい)が造ったすごい釣鐘ですよ。それも今どこへ処分されたのかは僕らにも全然わからないんです。その釣鐘は、金(きん)が昔の単位で一貫三百匁入っていたのです。だから、ものすごく良い音がして、しかもいつまでも音が消えないんです。音色が良いです。だから今あったら、すごい価値の物だと思いますよ。」
「そうしますと、今長者山にあった物の中で残っているのは子安観音のみ。」
「子安観音だけですね。2、3年前に(江浄寺へ)確かめに行ったんですよ。間違いなくその子安観音がありました。ただ、子供(四隅の人形)が付いてなかったですね。」
「士農工商の像は失われて。」 
人形が取られた跡がはっきり

(清水歴史探訪より)
「長者橋というのは、波多打川にこの図面には掛っているんですけれども、これは残っているんでしょうか」
「これは七夕豪雨で流れてしまったんです。鉄筋コンクリートの良い橋だったんですけれども、今はただ人が歩くだけの仮の橋が造ってあります。立派な物でしたよ。出来たばかりの写真もありますけれどね、周りに綺麗な桜があって。写真みるとほんとに平和な時代だったなと思います。それぐらい綺麗でした。
昔は、今みたいに電気洗濯機はないですから、洗濯をする所がなくて、周りの人が皆この波多打川でしました。この 波多打川に、ほんとうに大きなコンクリートで平らにした洗濯場があったんですよ。そしてこの長者橋の上のほうにもあったんですよ」
「頑丈な門が設けられていたりということで、警備が厳重かなと思ったんですけれども、意外と付近の住民の皆さんも来ていたんですね。」
「大事にしたもんですから、周りの方をね。銅像が出来たのが、明治43年。11月28日に除幕式をやったんです。同日に例祭というのをやって、地元の人を呼んで祭りではないですけれどそのようなことをやったんです。」
 
 波多打川の長者橋のあった所にご案内頂きました。
波多打川
長者橋があったところ
昔の洗濯場(コンクリート)
井上橋
井上橋
(清水歴史探訪より)
『橋はここにあったんです。」
「これは当時の土台が残っていた、その上に今人が通る橋が掛っているわけですね。」
 
~~~~~~~~~~~バタバタ(橋を渡る音)~~バタバタ~~~~~~~~~~~~
 
「そしてその辺にね、池を引っ張る水門があったんです。こっちから引っ張って、向こうへ傾斜しているものですから、水が増えると自然に向こうに抜けるようになっているんです。」
「当時はもう少し 波多打川も水は多かったんですか?」
「そうですね、やっぱ少ない時はこんなもんですけれども。きれいだったんです。これ全部桜があってね」
「今は桜の木は残念ながら残っていないわけですね。洗濯場があったのは今の井上橋の……」
「ちょうど、ちょっとコンクリートの上ですね。」
「ちょうど右岸の所に。」
「そうですね、あの辺にあったんですね。」
「長者橋のあったところの上流側にもあったんですね。目の前の岩の様に川の中へ出てますけれども。ちょうど場所的にはここだったんですね。ここに近所の皆さんは自由に入って。今も川の流れだけがそのままということですね。」
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税理士法人森田いそべ会計
〒424-0816
静岡市清水区真砂町4-23
TEL.054-364-0891
代表 森田行泰
税理士
社員 磯部和明
公認会計士・税理士

1.各種税務相談・税務申告
2.記帳業務
 3.給与計算・決算指導

■東海税理士会所属
■日本公認会計士協会所属
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