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1. 『赤い靴はいてた女の子』について

①赤い靴(くつ) はいてた 女の子 

 異人(いじん)さんに つれられて 行っちゃった

②横浜の 埠頭(はとば)から 汽船(ふね)に乗って
 異人さんに つれられて 行っちゃった
③今では 青い目に なっちゃって
 異人さんの お国に いるんだろう
④赤い靴 見るたび 考える
 異人さんに 逢(あ)うたび 考える

4番の詩は原稿段階では「赤い靴 見るたび 思い出す」であったのを「考える」と直した跡がある。

また、発表はされなかったものの、1978年になって発見された草稿には、以下の5番もあった。

⑤生まれた 日本が 恋しくば 
 青い海眺めて ゐるんだらう(いるんだろう) 
 異人さんに たのんで 帰って来(こ) 

赤い靴について
 
赤い靴』(あかいくつ)は1922年(大正11年)に野口雨情が作詞し本居長世が作曲した童謡です。
野口雨情(のぐち うじょう)
 
 野口雨情は、1882年(明治15年)に生まれ、北原白秋西條八十とともに、童謡界の三大詩人と言われております。
 代表作には『十五夜お月さん』『七つの子』『赤い靴』『青い眼の人形』『シャボン玉』『こがね虫』『あの町この町』『雨降りお月さん』『証城寺の狸囃子』『波浮の港』『船頭小唄』などがあります。

 

 1908年(明治41年)小樽日報が旗あげし、野口雨情、石川啄木、鈴木志郎、の三人が、一緒に入社しました。赤い靴のモデルは、鈴木志郎の義理の娘と言われております。

 

 啄木の「悲しき玩具」の中に 次の一節があります。

  名は何と言ひけむ。
  姓は鈴木なりき。
  今はどうして何処にゐるらむ。

本居 長世(もとおり ながよ)
 
 本居長与は、1885年(明治18年)生まれで、日本を代表する童謡作曲家であります。国学者として著名な本居宣長の6代目の義理の子孫に当たるそうで、国学者であった祖父、本居豊穎に育てられました。
 どうゆうわけか、音楽家を志すようになり、1908年(明治41年)東京音楽学校本科を卒業しました。同期には、作曲家の山田耕筰、教え子には中山晋平や弘田龍太郎がおります。藤山一郎も本居長世のところに出入りしておりました。

 1920年(大正9年)児童雑誌『金の船』より『葱坊主』を発表。同年、『十五夜お月さん』が、長女みどりの歌によって一躍有名となり、 以後野口雨情等と組んで次々に童謡を発表しました。

 その後、長女みどり、次女貴美子(後に三女若葉も)とともに日本各地で公演を行い、童謡の黄金時代を築きました。

 

 主な作品は、『七つの子』、『青い眼の人形』、『赤い靴』、『十五夜お月さん』、『めえめえ児山羊』、『汽車ぽっぽ』(作詞も本居が手がけた)、『國學院大學校歌』

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