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8.山岡鉄舟ゆかりの品

 (清水歴史探訪より)

 

さて、本堂にあたる方丈(ほうじょう)には、山岡鉄舟ゆかりの仏像も安置されています。

 

「こちらの本堂に。」

「そうですね。本堂と読むか方丈(ほうじょう)と読むか。普通は禅宗のお寺なので方丈(ほうじょう)と読むが普通ですね。

 

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

 方丈(ほうじょう)とは、禅宗寺院における住職の居室、あるいは住職その人をさす。正堂(しょうどう)、堂頭(どうちょう)、函丈(かんじょう)などともいう。『維摩経(ゆいまきよう)』「不思議品」で、問疾に訪れた文殊菩薩(もんじゅぼさつ)をはじめとする8000人の菩薩や500人の声聞(しょうもん)たちを、維摩居士(こじ)が、神通力(じんずうりき)をもって一丈(約3メートル)四方の小室に招き入れたという故事による。このことは、中国唐の道世(どうせい)の著した『法苑珠林(ほうおんじゅりん)』でも記されるから、かなり古くから伝えられた説である。住職は方丈にあって、修行者を教えることもあるから、単なる私室以上の意味があり、禅宗寺院では重要な伽藍(がらん)の一つとなっている。大禅院では前(まえ)方丈と内(うち)方丈の区別があり、前方丈は師が修行者に接し導く公的な場、内方丈は私的な居室とされることもある。中国では土間式であるが、日本では早くから和風の様式を採用したらしい。
[永井政之]『横山秀哉著『禅の建築』(1967・彰国社)』
 

この右側のね、剣を持って座っている人が文殊菩薩。文殊さんは、虎というか獅子(しし)に乗っているのが普通だからね、こちらが文殊菩薩と言います。」

「三体仏様がいらっしゃいますが、右手側ということなんですね。」

左側にあるのが阿弥陀様
真ん中にあるのが千手観音様
右手にあるのが獅子に乗った文殊菩薩様

(清水歴史探訪より)

「はい、そうですね。この方が文殊菩薩です。前から不動さんだもんね。真ん中が千手観音です。手がたくさんあるんですね。見て頂ければわかるんですが。こちらが如来様という、いわゆる阿弥陀如来というね。如来様と読んでいるものですから、こちらが文殊菩薩、真ん中が千手観音、前が山岡鉄舟の高歩(たかゆき)不動という高いという字に歩くという字、このお寺では、そういう名前で呼んで残していますね。」

「鉄舟さん由来の物ですね。」

「はい、炎をしょっているこの仏さんが不動明王というお不動さんです。鉄舟さんがお祀りしていた不動さんです。」 

(注)山岡鉄舟の鉄舟は号、諱(いみな:忌み名:本当の名前)は高歩(たかゆき)、通称は鉄太郎。

 

(清水歴史探訪より)

さらに、ここには山岡鉄舟や鉄舟に影響を受けた清水の次郎長にまつわるものが残されておりました。

 

「このお堂の下にある石が、みんな次郎長が持ってきた石です。」

「そうなんですか。」

  「次郎長が持ってきたけれども、次郎長さんはお金がないものですから、山岡さんが石の代金の代わりに、自分の書いた書を何百枚か、伊豆の石屋さんに払って示談にしたんですね。  

次郎長さんはそこから運んできてくれた。だけれども、昔はそんなに今と違ってね、銀行でお金をなんとか貸してくれる時代ではないから、皆大変な思いをして、このお寺の復興をしたのです。

ここの建物を造る為に礎石(そせき)の石が何本も建っているんです。この下に何本も礎石(そせき)を入れたんです。だけれども大きな石ですからね。動かないんですね。今は機械がありますが」

「では山岡鉄舟さんが書を書いて、それを売ったお金で次郎長さんが礎石(そせき)を調達してこのお寺が建っているということですか」

 

 (注)左の石は、未使用の礎石(そせき)

鉄舟寺と次郎長(鉄舟寺のしおりより) 
  清水の次郎長山本長五郎が幕府の残党咸臨丸壮士に墓を立てて以来、鉄舟に任侠を認められ、『精神満腹』の書を贈られるに至って大得意、しばしば鉄舟先生の邸にも伺うようになった。したがって、鉄舟寺建設にも一肌ぬぐことになり、人夫等を繰り出したり、土工を監督したり、伊豆の国から舟で巨石を取り運んだりなどをした。今、方丈(ほうじょう)の礎石(そせき)になっているものが、それだということである。
(ちなみに次郎長の木像は鉄舟寺に納められてある)
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税理士法人森田いそべ会計
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代表 森田行泰
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