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いそべ会計の地図
税理士法人いそべ会計
〒424-0816
静岡市清水区真砂町4-23
TEL.054-364-0891
代表 磯部和明
公認会計士・税理士
代表 森田行泰
税理士
1.各種税務相談・税務申告
2.会社設立・記帳業務
3.給与計算・決算指導

■東海税理士会所属
■日本公認会計士協会所属
第二十三話 波止場ロマン「船宿『末廣』」
 
船宿「末廣」   
 
 住  所  静岡県静岡市清水区港町1-2-14 
 
 電  話  054-351-6070
 
 場  所  JR清水駅からバス三保方面行き・港橋下車
 
 入 場 料   無料
 
開館時間   10:00~18:00
 
休  日   月曜日
目 次
 
  平成25年(2013年)4月18日より、日本経済新聞で「波止場浪漫」が掲載されました。著者は諸田玲子さんで、挿絵は横田美砂緒さんでした。
 この「波止場浪漫」が平成26年(2014年)12月1日、日本経済新聞出版社から発行されることになりました。早速、今回の清水歴史散策で波止場ロマン「船宿『末廣』」を記載するのに合わせて購入してみました。そこで、私なりに、拙い(まずい)解説を章ごとにしてみたいと思います。実際の小説ですと、明治と大正を行ったり来たりしておりますが、私の解説では、分かり易く明治から順に記載しております。最初は明治19年、おけんちゃんが11歳の時から始まります。
 最初から主な主人公が登場いたします。ここでは、まず主な登場人物について説明いたします。清水次郎長は、本名山本長五郎といい、高木家の次男に生まれました。山本次郎八の養子となり、次郎八家の長五郎、次郎長と呼ばれたのです。 
 
 
  次に、次郎長の奥さんのおちょうさんは、三代目のおちょうさんです。初代のおちょうさんは本名で、過去帳には「おちよ(オチヨ)」となっているそうです。初代のおちょうさんは病気で亡くなりました。二代目のおちょうさんは、本名「おはな」で、斬殺されました。三代目のおちょうさんの本名は、「おけん」です。
 この次郎長とおちょうさんの養女が主人公である山本けん、通称波止場のおけんちゃんであります。おけんちゃんは、三代目おちょうさんの血縁にあたる山下燕八郎の娘です。この山下燕八郎の娘で、姉の入谷はるも登場します。
 次郎長の隣に入谷清太郎が住んでいました。清太郎は、おちょうさんの実子で、おけんちゃんの姉入谷はるの主人でもあります。次郎長には、初四郎という実子がおり、桜井初志郎という名前で登場いたします。
 
 
 「波止場浪漫」には、おけんちゃんが恋心を抱く医師の『植木重敏先生』が出てきます。この先生も、実在の人物です。
 物語では、『おようさん』がしばしば出てきますが、この人は架空の人物と思われます。もちろん、おようさんの子供の『いすゞ』も架空です。
 次に、千畳楼の女将のまつは次郎長の姪です。その跡継ぎのイソも実在の人物です。また、芝栄や鈴与のおたつさん、社会事業家となる山田政吉さんも実在の人物です。
 時代小説というのは不思議な小説で、実在の人物と架空の人物が登場し、本当にあったこと(ノンフィクション)と作り話(フィクション)が適当に混ざり合ってできております。読んでいると、あたかもすべてのことが本当のことのように思えたり、逆にすべてが作り話のように思えたりいたします。
      
 
 「波止場浪漫」の主人公は、波止場のおけんちゃんと呼ばれる『山本けん』で、相手役が『植木重敏先生』です。そして、もう一つの主人公が「船宿『末廣』」であります。何の知識もなくこの「船宿『末廣』」を訪れると、大した感激もなく、「なぜお金をかけてこのような建物を移築したのか?」と疑問を持つ方もいるそうです。
 しかし、清水次郎長のことを少しでも知っている人やこの「波止場浪漫」を読んだ人にとっては、この「船宿『末廣』」は柱一つずつが感激の深いものになります。『波止場浪漫』を読んだ直後この「船宿『末廣』」を訪れた時、『末廣』の物陰からおけんちゃんが出てくるような気がしました。
 ぜひ、「船宿『末廣』」を訪れる前に「波止場浪漫」をお読みくださるよう、お勧めいたします。 
 
 船宿『末廣』をいそべ会計事務所より歩いて訪ねてみました。道筋はできる限り明治から大正にあった道筋を通ってみました。最初に江尻駅のあった場所を訪ね、旧東海道を通り、稚児橋を渡り、巴川沿いを昔からあった本町(ほんまち)を目指して歩きました。本町から『末廣』までは、港橋を通ってすぐそばです。
 
 港橋から船宿『末廣』まではすぐそばです。最初に船宿『末廣』があった場所は、現在の『末廣』の建物から東のほうに百数メートル行った海岸沿いにありました。その海岸沿いのすぐそば(50メートルぐらい)に、石碑が立っておりました。この『末廣』は、昭和13年に大曲の近くの鶴舞町に移転されていたため、戦火に遭わず建物が残ったそうです。
 
 『末廣』の内部に入ってみました。そこで分かったことがあります。建物の向きが最初に波止場にあった時には、玄関が西向きで二階の賓客室からは駿河湾と富士山が見えたはずですが、現在の『末廣』は玄関が南向きのため二階の賓客室からは駿河湾も富士山も見えませんでした。次に、階段が観光客用に広く作られておりました。
 
  一階には土産物や額、写真や熨斗目(のしめ)をはじめとする展示品がたくさんありました。日曜日とあって、多くの観光客がおりました。観光客を押し分けて、参考になる写真を二、三枚写してみました。ところで、上下(かみしも)につける熨斗目という下着ですが、綿が入っていて「どてら」のような感じがしました。
 
 
 清水次郎長は富士の裾野の開拓をしたそうです。今でも、富士の大渕には、次郎長町という地名や東次郎長町という地名が残っています。次郎長さんはこの開拓でかなりの資産をつぎ込んだようです。ただ、次郎長さんの性格から考えると、この開拓でひと儲けしたとしても、事業家として成功したかどうか分かりません。次郎長さんの人生を変えたのは、咸臨丸の事件です。咸臨丸の乗組員を祀った「壮士の墓」が今でも残っております。
 最後に、今回からのアシスタントは新人の髙内雅子さんでした。次回からの活躍も期待しています。
 
 
 清水次郎長の子孫にあたる方からお手紙を頂きました。清水次郎長の姪で、養女でもある江尻志茂町にあった遊郭、千畳楼(せんじょうろう)の女将(おかみ)のまつさんの子孫だそうです。残念ながら匿名の手紙でしたが、ご丁寧に、家系図までつけて頂きました
 
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