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2.清水駅から清水港駅(貨物専用)まで
旧清水駅の時刻表
清水港線の下り『三保行』
清水港線のホーム
真ん中に東海道線からの通路
駅前にあった長崎屋?の屋上看板
島崎の踏切から撮った?
と思われる三保行の写真
三保行の混合列車
左上の建物は清水市役所?
(清水歴史探訪より)

 

 清水テルサのあたりにあったホームから列車に乗ると、線路は港へ向かって延びていました。

ストックトンブリッジの横を並走する形で走っておりまして、ホーネン(豊年製油)今はJ-オイルミルズになっていますけれども、そちらの工場の横を通って、下をくぐってドリームプラザのあたりまで線路が延びています。」

「そうすると、ストックトンブリッジと清水港線というのは、立体交差になっていたんですか。」

before
after

 (清水歴史探訪より)

「はい、そうです。島崎の踏切が清水駅の構内をすぐ出てあったんですけれども、踏切番小屋がありまして、踏切の上げ下げの管理をしていました。ここの清水駅の構内のほうで色々貨車の入れ替え等をやっていた、いわゆる機回し(注)です。

 

(注)機回し(きまわし)とは、機関車を列車編成の先頭部から最後部へ、切り離して転線することにより付け替える(前方から後方へ移動させる)作業のことである。機関車回し作業とも呼ばれる。

 

 このため、島崎の踏切はあかずの踏切ということで、車がなかなか通れなかったという話を聞いています。

 

 

島崎の踏切

清水歴史探訪より)
 
 ストックトン橋がコンクリートの橋脚から別の橋脚になっている部分になっています。それは構内の引込み線がありまして、線路を入れるために、門型や特殊な形の橋脚になっているんです。」

「真ん中のあたりに立っていた橋脚が、両脇によけるような形に広がっているわけですね。」

「はい、専用線の線路をよける形で広がっているのではないかと思います。」

 

(おわび)現地取材で、土台がコンクリートの橋脚と鉄製の橋脚があるのは確認しましたが、写真を撮るのを忘れてしまいました。

(清水歴史探訪より)
 
 歩行者、自転車道として整備された線路跡には、ここが鉄道用地だったという証が残っています。

J-オイルミルズの北門のすぐそばのところに、頭がピンク色に塗られた杭がありまして、こちらが国鉄の用地境界になりまして、これが国鉄の線路、清水港線の境界になります。『工』(こう)マーク、国鉄とかが使っていました工部省の『工』(こう)マークがついています。

 これ以外にも、路線を歩いていくうち、『工』がついている杭がいくつか見つけることができろと思います。」

 

(おわび)現地に取材に行った時に、『工』(こう)マークのついた杭を見るのをわすれてしまいました。

before
after

 (清水歴史探訪より)

 

  清水港線の積みの大きな遺構は、エスパルスドリームプラザの前にありました。

「ドリームプラザの前に、テルファーという大きな金属のクレーンでしょうか。残っていますけども、ここが駅だったんですね。」

「そうですね、このあたり一帯が清水港第一貨物駅になっていました。」

清水港駅の全貌
後ろにテルファが見えます。
まだテルファが活躍していた時代の写真?
テルファの一部は水に浸かっていたのですね?

(清水歴史探訪より)

 

「このテルファーというのはどんな役割を果たしていたんですか。」

「はい、関東大震災が起きまして、その時に木材の貨物輸送が必要ということで、海から木材を陸揚げするのに使用するのに大活躍した、と話を聞いています。街灯が立っている真下、あの幅になっているんですけれども、こちらの周りの石を見てください。こちらがですね、撤去された清水港第一貨物駅のプラットホームの縁石、ホームの縁に使っている石をそのまま利用した花壇になっています。石の表面が明らかに古ぼけていまして、昔ながらの石らしいという雰囲気が分かると思います。」 

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税理士法人森田いそべ会計
〒424-0816
静岡市清水区真砂町4-23
TEL.054-364-0891
代表 森田行泰
税理士
社員 磯部和明
公認会計士・税理士

1.各種税務相談・税務申告
2.記帳業務
 3.給与計算・決算指導

■東海税理士会所属
■日本公認会計士協会所属
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