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4.清水埠頭駅から巴川口(ともえがわぐち)駅まで

(清水歴史探訪より)

 

線路の跡地には、特徴のある細長い空き地が延びています。

「今度は、ここが清水港管理局の建物の横の道、また何か斜めに入っていく道路の跡のようなものがありますが。」

「はい、こちらが清水港線跡になりまして、敷地が今もしっかり残っていますね。」

「この幅は昔の鉄道の幅なんですか。」

「はい、線路の幅がそのままこちらに残っています。」

「だいたい4~5メートルぐらいでしょうか。」

「そうですね、それくらいの土地が鉄道用の土地ということで残っておりまして、自分が清水港線を紹介するには一番ここが好きだという部分でして、倉庫と倉庫の中を列車が走っていた空間がそのまま残っているというのが一番おもしろい場所だと思っています。」

 (清水歴史探訪より)

 

 清水港線のハイライトの1つが、巴川に架かっていた可動橋でした。

「ここで今、線路跡は途切れてしまっているんですけれども、昔はここで清水港線の名物だった清水港線の可動橋を渡って三保方面に向かっていました。」

「その跡というのは、今何か残っているんでしょうか。」

「はい、今反対側を見ていただくと、白いガードレールが向こう側に見えまして、そのすぐ下に清水港線可動橋の橋台が若干コンクリートで塗られているんですけれども、残っているのが見ることができます。」

(清水歴史探訪より)
 「清水港線にあったものは、真ん中が上下する昇開橋という形になっていまして、このタイプの鉄道橋は日本で3ヶ所しかなかったと聞いています。
 今でこそないんですけれども、昔はいかだのように木を組んだ船がよく巴川を上がり下がりしていたもので、そういったものを通すために使っていたのだとも思われます。鉄道が何本も通る路線ではなかったということもありまして、基本的に往来できるように船の方をこちら優先だったと思われます。」
(清水歴史探訪より)
 「戦時中、清水港線が開業したんですけれども、そのときはまだ可動橋の機工は完成せずに、上下の巴川を渡る橋ができたと聞いています。完成したのは昭和21年ごろと聞いていますので、最初は動かなかったものができ、後で完成したものと思われます。」

 (清水歴史探訪より)

 

 巴川の対岸には、これも全国的にめずらしい鉄道岸壁がありました。

 

「鉄道岸壁で、国鉄が持っていた唯一の岸壁になっています。昔ここは石炭埠頭ということでして、クレーンが二基ありまして、真ん中の石炭を下ろしたりする形で使っていました。

 東海道新幹線のレールを船積みしてきて持ってきたものを下ろしたところだそうで、岸壁に国鉄の船が清水港線経由で東海道新幹線のレールを下ろしたそうです。

 岸壁の海側ですね、普通の人はなかなか行かないと分からないんですけれども、面白いものが残っています。こちらなんですけれども、鉄道岸壁ということで、『係船するときは清水駅のほうに許可を得てください』という国鉄が書いた表記のほうがまだ残っていまして、白いベースに文字が残っています。」

「はい。これは船から見ないとちょっと見えにくいですが。」

「自分が見つけたときは、東海大学の実習船のほうに乗せられたときに偶然発見しまして、びっくりしました。」

 (清水歴史探訪より)

 

 鉄道岸壁の名は今でも地名代わりに通用するほど、清水の人々の中に根付いています。

 さて、鉄道岸壁のそば、現在は静清(せいせい)浄化センターの敷地になっているところも清水港線の跡地です。

 

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税理士法人森田いそべ会計
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代表 森田行泰
税理士
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2.記帳業務
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■日本公認会計士協会所属
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