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3.宿場の3つの使命

(清水歴史探訪より)

「宿場ではどんなことが行われていたんですか。」

「宿場は3つの使命があったんですね。

宿場の使命その1.人馬継立て     藤枝・人馬継立
 一番が、人馬継立てということで、人足、馬を用意して、そして旅人の荷物を、あるいは旅人自身を馬に乗せてお隣の宿場町へ運ぶという、いわゆるリレー方式でお客さんを次から次へと運ぶということでございます。
 お客さんと言いましても、家康が作ったときの目的は、自分の部下、すなわち幕府の役人がスムーズに仕事ができて全国を統治できるように、ということでした。
 本来は幕府の役人の、いわゆる公用の旅スムーズにいかせるというのが第一の目的だったわけです。これが78割の使命だったと思います。
宿場の使命その2.継飛脚 37番めの宿・赤坂(東海道53次・行書版) 左側に飛脚が

もう一つは、あまり知られていませんが、継飛脚(つぎびきゃく)ということで、幕府の公文書、あるいは公的な荷物、これを運ぶという仕事でございます。これは他の大名も一切使えず、幕府の物しか運ばなかった仕事でございます。

宿場の使命その3.宿泊      関・本陣早立(48番目の宿)

それからもう1つが、休泊所、休むところ・泊まるところを提供するということでございます。ただし、江戸から京、あるいは大阪まで行ってもすべての宿に泊まるわけではございません。旅人の5分の1から4分の1の人しかその宿場は利用しなかったということになります。あとは通過ということでございました。」

 

 

写真は、35次の御油宿(ごゆしゅく)の袖をとって強引に客引きする女

「そうしますと、宿場というのはかなり幕府、お上(かみ)の為の用というのが多かったんですね。」

「そうです。あくまでも幕府の仕事のために家康が作りました。

 ただし、徐々に江戸時代265年の中に平和の時代が続き、一般の方も旅をするようになりました。そして幕府も常に公用の旅で使うわけではございませんので、余裕があれば一般の人に人足も馬も使ってもらっていいよ、という制度でございましたので、徐々に一般の方が使うようになりました。

 したがって、慶長6年にこの東海道宿駅制を始めたときには各宿駅に人足を36人、馬も36匹用意しなさいということでスタートしましたが、旅人が増えるにしたがってその数は増え、幕末には東海道は『100100疋』と言われました。

 中山道はこれが『5050疋』、その他の3街道は『2525疋』が原則でございましたので、そういう意味では旅人の数が街道によってずいぶん違うということが分かっていただけると思います。」

東海道の宿は賑わっていました。     賑わう宿場町・藤澤宿(隷書版)
 「東海道はお上の御用が非常に多くて、潤ったのではないかと思われますけれども、どうだったんでしょう。」 

「そうですね、やはり旅人が多くて、もちろん幕府の役人なんかは本陣に無料で泊まるということもありましたので、すべて幕府や役人がお金を落としたわけではありませんが、一般の旅人が使うようになって、宿場は潤うようになったわけでございます。」

「幕府のお役人は無料で泊まっていったんですか。」

「基本的に朱印状(写真)を持っていた場合には無料でございました。馬、あるいは人足も無料で使うことが許されました。茶店なんかに寄ればもちろん払ったわけですけれども、基本的に本陣の場合は無料で泊まれました。ただし、志は置いていったようでございます。」

「そうしますと、この蒲原宿も『100100疋』用意をすることになったわけですね。」

「そうですね、途中の段階から『100100疋』を用意したわけでございます。

問屋場(といやば)    庄野宿の人馬宿継図   当時の問屋場の雰囲気がでています。
 宿場には、問屋場(といやば)という、役所に準ずるような場所がございまして、そこで問屋職(といやしょく)という宿場を管理する役職の方が駐在しておりました。

 そしてそれを補佐する年寄り、さらに帳面を付ける帳付け、あるいは馬とか人足を扱う馬差(うまさし)、あるいは人足差(にんそくさし)という宿役人がおりました。

 ですから、そこの宿場の問屋場がどこにあるかというのは、旅人は常に注目し、そこに行って荷物を新しい馬に預ける、こういうようなことをしていたわけでございます。『どっか泊まりたいな』ということでありますと、宿泊所の斡旋もしてくれたというのが問屋場でございます。」

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税理士法人森田いそべ会計
〒424-0816
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TEL.054-364-0891
代表 森田行泰
税理士
社員 磯部和明
公認会計士・税理士

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2.記帳業務
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■東海税理士会所属
■日本公認会計士協会所属
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