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5.各地にある梶原景時の旧跡

(清水歴史探訪より)

さて、この地で終焉を迎えた梶原景時ですが、現在でも全国各地に梶原一族の名を伝える場所や、関係したとされる旧跡が残されています。

 

「有名人になると、あちこちにそういった塚があるんですよね。あちこち私、回って歩きましたけれどね、兵庫県の小さい島なんです、『沼島』と書いて『ぬしま』と読む島があるんです。その島へ行くと、そこはそこで、梶原景時をお祀りしてくれているんですよね。

沼島(ぬしま)は、淡路島の南4.6kmの紀伊水道北西部に浮かぶ
兵庫県南あわじ市に属する島
 
「古事記」、「日本書紀」の神代巻、いわゆる“記紀神話”によると、天つ神がイザナギの命、イザナミの命の二神に神聖な沼矛(ぬぼこ)を授け、国造 りを命じました。この二神は、まず、天の浮橋に立ち、授かった矛で、混沌とした世界をかき回しました。潮をゴロゴロと鳴らし、引き上げた矛の先から、落ち た雫が固まって島となりました。これがオノコロ島です。この島にイザナギ・イザナミの二神が降り立って、夫婦の契りを結び、御柱と宮殿を建て、国土造成を されました。その舞台であるオノコロ島が、沼島となされています。

梶原五輪塔(梶原景時の墓)

 

 松香石という特殊な石でつくられています。古くから梶原景時の墓と伝えられており、この塔の造立年代も鎌倉初期のものとみられています。

 不思議なことに、鹿児島県の東シナ海の方に出たところに、甑島(こしきしま)という島があるんです。フェリーで約1時間くらい渡るんですが、そこへも行きましたけれども、そこに行くとね、『梶原景季の塚』というのがあるんです。調べてみると、甑島(こしきしま)にね、梶原っていう姓の者が大勢住んでいるんですよ。
甑島列島(こしきしまれっとう)
 
 甑島列島(こしきしまれっとう)は、東シナ海にあり、鹿児島県薩摩川内市に属する列島。甑列島(こしきれっとう)ともいう。上甑島(かみこしきしま)、中甑島(なかこしきしま)、下甑島(しもこしきしま)の有人島3島と多数の小規模な無人島からなる。中甑島北部にある「甑」(蒸籠)の形をした巨石を甑大明神として崇拝したことに由来し、かつては「古敷島」「小敷島」「子敷島」「古志岐島」などとも書いた。列島全体では人口5,576人、面積117.56km2、海岸線延長183.3kmである。

 

梶原源太景季(かじわらげんたかげすえ)の墓

 


 源頼朝は、石橋山の合戦の時に、平氏の武将:梶原景時に助けられましたが、以後景時を重臣として用い、その子:梶原源太景季も重用されました。


 しかし、頼朝の死後、御家人の反発を招き、北条時政らと幕政を合議する任にあったが、正治元年(西暦1199年)謀反人とされて追放されました。

 一族は上洛しようとしたが、駿河の狐崎で諸将の追撃を受け、景時はここに敗死した。一族の一部は、景時がが先年まで守護の任にあった播磨に逃れ、さらに舟に乗って頼朝縁故の島津氏が守護の任にあった薩摩に下り、甑島へ着いた。

 景季も狐崎に戦死したと伝えられるが、甑島に逃れて再起をうかがうが、病に倒れ正治2年に没したと伝えられています。享年39歳。

 そういう風に、あちこちに梶原の遺跡があるんですよね。山梨県にもこれがあるんです。山梨県に梶原の姓がたくさんありまして、そこもそれなりに祀ってくれているんですよね。ここが終焉の地とは、確かにそうらしいですけど、他にも色々そういった何かのつながりがあるんですねぇ。」
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税理士法人森田いそべ会計
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代表 森田行泰
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■東海税理士会所属
■日本公認会計士協会所属
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