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3.江戸時代の清水湊の様子

(清水歴史探訪より)

 

さて、当時の清水はどんな様子だったのでしょう。

 「こちらはですね、意外と皆さんご存じのない方が多いと思うんですけども、この200年前の絵図を見ていただくと、よく分かるかと思います。

 今の清水港が下に描かれているんですけれども、この巴川がずっと清水港(注)から静岡の方に向かって、ちょっと遡った西側ですね、家並みが描かれているのが分かりますでしょうか。ここに描かれている部分が、当時の清水湊(しみずみなと)になります。そのあたりに清水湊(注)と言われる江戸時代の初めから後半まで使われていた川湊としての清水湊が造られております。

 

(注)湊:(水上の)人やものの集まるところ。 港:船着き場。「湊」の方が本来的で、近代に至れば船の大型化にともなって「湊」には船着き場がかならずあるようになり「港」の字をあてることが多くなった。昔は、「湊」を用いる方が普通ですしそこに船着き場はまずありません。小さな舟ならば直接岸に乗り上げたりしますし、大きな船の場合は沖に停泊してはしけで人や荷を岸に運びます。つまり歴史的に言うならば「湊」から「港」に発展していったようです。 

 今で言いましたら、地名の本町(ほんちょう)であるとか、それから上(かみ)一丁目・二丁目ですね、それから美濃輪町でありますとか、このあたりが、江戸時代の廻船問屋が集まっていた清水湊になります。
 次郎長さんのいらっしゃったのはこのあたりですね。一番の西側と言いますか、南側にあたりますね、次郎長さんがお生まれになったのは。巴川の河岸から荷物をあげて、そこに廻船問屋が、一番最初の時に42軒並んでいましたので、その廻船問屋に荷物をあげて、駿府の町であるとかいろんな町に届けられていたということですね。」
「いろいろな書物でしょうか。これはどういうものなんでしょう。」

「これは、廻船問屋の子孫のお宅に伝わっております古文書(こもんじょ)なんですけども、非常にラッキーといいますか、仕事自体は変わっているんですけども、今でも、港であった場所に住んでいらっしゃる方がたくさんおります。

 こちらに展示してあるものも、そういった子孫の方々からお借りをしてきて、博物館で紹介させていただいているんですけども、当時の仕事の様子を記した古文書がたくさん残っております。

 例えばこちらの『諸問屋申合せ帳』というのは、古い文字がたくさん書いてあって、なかなか分かりにくいんですけれども(笑い)、廻船問屋さんが3040軒くらい並んでいたもんですから、その問屋さん同士で決めた取り決めが、ずーっと第1、第2、第3という風に書かれております。」

「かなり栄えていたんですね。」

「そうですね。清水の湊(港)というのは、ちょうど太平洋を大坂から江戸まで結ぶ中心部分に当たりますので、やはり重要な拠点であったということは、昔も今も変わらないですね。」

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税理士法人森田いそべ会計
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