静清合併
(昔の磯部の独り言より)
静岡市との合併前も清水市は不況でした。
なんとかしなくてはいけないと焦って飛びついたのが、この静清合併です。合併にウンといえば、10年間で450億の特例債が発行でき、しかも、国が7割の負担をしてくれるというのですから、もしかしたら景気が良くなるのではと思った人がいても不思議はありません。
さらに、合併すれば田舎の清水は『県庁所在都市』となり、さらに『政令指定都市』となります。何のメリットがあるかわからないまま、田舎の人間は『政令指定都市』と言う言葉に憧れました。
結局、合併のメリット、デメリットはよく検討されることもなく、住民投票もないまま、2年間の任期延長に喜んだ市会議員の多数決により、合併は決議されました。
合併後、気がついたことが一つあります。実は、『合併』というのは『二つが一つになること』ではなかったのです。『合併』というのは『二つのうち、一つがなくなること』だったのです。
本来、それは決して悪いことではなく、行政の効率化にとっては必要なことであります。しかし、清水にとっては、それは悲劇の始まりでした。
まず、清水市という名前が消えました。
次に、当たり前のことですが、清水市役所がなくなり、清水市の職員は静岡市の職員になりました。ほとんどの職員は、通いなれた清水から電車に乗って静岡までの通勤となりました。
法務局を始めとする各種役場の機能も静岡に移っていきます。清水の商工会議所もなくなるのは時間の問題です。
官ばかりでなく民にも影響は大きいようです。清水の商店街は、静岡の街はずれ商店街になりそうです。これからも、あらゆるものが清水から消えていきそうです。
次に政令指定都市が待ちかまえております。今度は、3つの区ができます。3つの区ができるというのは、窓口が3つに分かれるということです。
葵区には市役所があり各種役場がありますので、特別扱いです。今後は、清水区は駿河区と同列に扱われます。昔、静岡市と同列の立場だった清水は、格下の駿河区と比較され、新たな悲哀が待っていそうです。
合併については、いろんな意見がありますが、旧清水市民の不満は続きます。
いずれにせよ、清水は合併後も不況です。
(追記)静清合併は、平成15年のことです。あれから9年、あっという間ですね。