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2.灯台守がいた頃の話
 

 (清水歴史探訪より)

 

 現在は無人となっている清水灯台ですが、かつては職員が常駐していました。

 

100年前の灯台の運営といいますと、今とはだいぶ違うんではないかなと思いますが。」

 

 「建設をした当時から、この高台の一角に事務所を構えておりまして、清水灯台を専門でメンテナンスする点検、運用するいわゆる灯台守という方が住んでおりました。

 事務所があってまた宿舎もありますので、生活しながらメンテナンス、運用をしていたということが言われております。平成7年まで事務所がありまして、清水航路標識事務所というこの部署名になりますが、海上保安庁の出先機関で、3名ほど勤務しておりました。その3名が清水灯台だけを見ているわけではなくて、今の清水海上保安部の管轄している沼津から大井川港の付近までにある灯台を全てその3人で見ていたということになっております。」

 

(清水歴史探訪より)

「かつてはよく映画に登場しますけれども、灯台守がいらっしゃったわけなんですね。」

「その灯台守の言葉の語源はよくわからないのですが、一つの灯台をお守する為に、その地に住まれている方をそういう風に言ったかと思うんですが。今では職員が灯台を管理、運営しているという形で灯台守と言う言葉はあまり使わないですね。我々の保安部の中で言いますと交通課の職員と言っております。一番最初の頃は、石油を焚いてその明かりをレンズを通して遠くまで飛ばしたということがありますけれども、今はもう電気を使っておりまして、一昔前は普通の白熱電球、今はメタルハライドランプというのを使いまして、省電力で光力が大きくて、しかも寿命が長いという電球を使っております。」

「初めの頃は灯油だったということなんですけれども、その時には例えば油の補給だとかメンテナンスも非常に掛ったんでしょうね。」

「そうですね、人が全てそれをやらなくてはいけなかったということです。その火もそうですけども、回転機構もそうです。灯塔(トウトウ)の上部から下部にある中央に貫通してます円筒型の中に、ワイヤーがありまして、そのワイヤーに分銅を点けまして、その重りが重力で降りてくる力を利用してレンズの回転をさせてたということがあるんですけれども。もちろんそれも電化になりまして、現在はサイクロ減速機といいますけれども、そのモーターで回しております。」

「では昔はこの灯台の明かりがくるくる回るというのは分銅が下がってきて…」

「そしたらまた上まで登って、職員が上って巻いてたそうです、手巻きで。それを一晩に何回かやらなきゃいけなかったということで。ですから寝ずの番をしてたんじゃないかと想像しますけど。」

「昔の灯台守の方は大変だったんですね。」

「大変だったと思います。昔は僻地ばっかりでしたから、転勤もあったでしょうけど。それこそ『喜びも悲しみも幾歳月(よろこびもかなしみもいくとしつき)も』家族を連れて僻地をずっと回ってたというふうなことを聞かされております。町の中にいないので、生活自体が仕事ということも聞いております。食料品なり、町中に買いに行くのも相当な距離があるとかですね、宿舎の方も格安の宿舎を国の方が用意してくれたという話も聞いております。」

  

三保の風見鶏
少し変わった風見鶏
普通の風見鶏
普通の風見鶏
 (清水歴史探訪より)

 

 この灯台には、清水ならではというより、三保ならではの装飾が施されています。

 「普通の灯台、こういった大きな灯台ですと、風見鶏が鶏(ニワトリ)の風見鶏、普通の風見鶏なんです。しかし、ここだけはちょっと特殊といいますか、ここだけにしかない、三保の羽衣伝説の天女からイメージして、天女を模したイメージした風見鶏になっております。これは、一番最後のここで勤務していた職員になります、石井源助さんの娘さんが考案してデザインしたと聞いております。」

 

「灯台守の方の気持ちがこもっているんですね。」

「そうだと思います。やっぱり地元にちなんだ物をなんか残しておきたいという気持ちがこもってたんじゃないかなと思います。」

  

清水灯台は、歴史的価値などが評価され、経済産業省の『近代化産業遺産』や、土木学会の『推奨遺産』。静岡市の『地域景観資源』に指定されています。

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税理士法人森田いそべ会計
〒424-0816
静岡市清水区真砂町4-23
TEL.054-364-0891
代表 森田行泰
税理士
社員 磯部和明
公認会計士・税理士

1.各種税務相談・税務申告
2.記帳業務
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■東海税理士会所属
■日本公認会計士協会所属
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