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3.尾羽廃寺から見る当時の建築技術

(清水歴史探訪より)

  今のお寺のイメージとは違い、かなり大規模だったらしい、尾羽廃寺。発掘調査から、当時の技術なども明らかになりつつあります。

尾羽廃寺から発掘された瓦(軒丸瓦と軒平瓦)

 「屋根の上には、相当大量の瓦が葺(ふ)かれておりましたので、発掘調査をしておりますと、瓦がやはり大量に出てまいります。

 瓦葺き(かわらぶき)の建物、いわゆるこういった瓦が、今ですと、屋根の上に瓦があるというお宅が大半だと思いますが、瓦葺きの建物というのはお寺が造られるようになってから初めて日本に入ってまいりました。

 それですので、立派なで規模も大きいですし、回りから見たときにひときわ目立つような存在であったという風に思われます」

「例えば、瓦などで特徴などはありますでしょうか。」

「そうですね、今の屋根瓦と違いまして、本瓦葺き(ほんがわらぶき)という瓦の葺き方になります。平たい瓦と丸い瓦をこう半分に割ったような丸瓦、これの組合せを屋根の上にしてですね、軒(のき)の所には模様のついた軒瓦(のきがわら)というものが葺かれております。」

 

写真は、上総国分寺の古代瓦を実際に葺いた状態

瓦の葺き方について
 
瓦の葺き方には次のようなものがあるそうです。
本瓦葺き
 
 本瓦の平瓦と丸瓦を交互に組み合わせて並べる屋根の葺き方で、古くから社寺建築に用いられている葺き方です。本瓦葺きは、重厚感はありますが屋根重量が重くなるのが弱点です
桟瓦葺き
 
 本瓦葺きの弱点である重量対策として、平瓦と丸瓦を一体化させた波型の桟瓦を使用した屋根の葺き方が桟瓦葺き(さんがわらぶき)です。
引掛け桟瓦葺き
 
 上記の桟瓦葺きに桟瓦の裏面に突起をつけて、引掛けて瓦がズリ落ちないように改良されました。それを引掛け桟瓦葺き(ひっかけさんかわらぶき)といい、現在では一般住宅の瓦の葺き方として多く採用されています。ちなみに外観は、桟瓦葺きと ほとんど同じです。

「大きさも、今の住宅の瓦なんかと比べると、ずいぶん大きいですね。」

「ええ、そうですね。1回り2回りぐらい大きいものだと思います。大体長さでいいますと40センチ、もう少しありますかね、そういった大きさをしております。」

「今ちょうど、1組の瓦がこの目の前に展示されているんですけれども、左右で色が違っているようですが。」

「そうですね。窯(かま)を使って、こういった瓦なんかは焼かれるんですけれども、その時に『うまく焼けた、ちょっと失敗した』というのもあります。

 非常に硬く、灰色といいますかね、青灰色(せいかいしょく)をして、叩くとキンキンとするような瓦もありますし、多少こう赤みを帯びて、もろい瓦なんかもあります。」

「当時の技術が、まだ完全ではなかったところがあるんですね。」

丸瓦(玉様式)
軒丸瓦
八葉複弁蓮華文軒丸瓦(はちようふくべんれんげもんのきまるかわら)で川原寺のものです。

「そうですね。日本に瓦が伝わってきて、静岡でも恐らく最初に造られたお寺の瓦だと思いますので、そういったところでは、まだ技術的に不十分な部分があったのかもしれません。

 あとは、こちらの方に飾ってありますけれども、これは(せん)というもので、今 でいうレンガのようなものなんですけれども、建物の一部をこう造るときに使われた石で作られたもの、それから焼き物もございます。」
 
 塼(せん)とは寺院の床や壁に使われる建築材料で、レンガやタイルに類するもの。一般的には粘土を焼いたものだが石の場合には、磚(せん)と書く。

 

「いろいろな材料で作っているということで、これ建築技術が分かってくるんでしょうか。」

 

写真は、瓦堂の一部。

粘土を焼いて造ったお堂の屋根の部分で、礼拝の対象だった可能性がある。

 「そうですね、まずは礎石(そせき)と言いまして、建物の柱を載せる石がまず地面に置かれます。上には非常に重たいものが載りますので、ただ柱を立てただけでは倒れてしまったり、沈んでしまったりということがありますので、まずは礎石という石が置かれます。

 その礎石が置かれるところも、そのままの地面では、礎石もろとも沈んでしまうということもありますので、まず多少こう、地面を掘り下げまして、その中に土を少しずつ入れて何度もこう叩き締めて、これを版築(はんちく)といいますけれども、非常に硬い地面を造って、基礎を造ってですね、その上に建物を建てると、そういう工夫がなされております。

 瓦を組み合わせてですね、降った雨を排水するための排水溝だと思われますけれども、こういった工夫もなされております。」

「こういう点では、今の建築とあまり変わらないところもあるわけですね。」

「そうですね、今の建築のもとになるものだという風に考えて宜しいかと思います。」

 さらに、周辺の調査から、この地域の当時の姿が浮かび上がってきています。

 

「このお寺の周りにも、いろいろ建物があったわけですか。」

 

「そうですね。先ほど申し上げた金堂(こんどう)・講堂、それから塔の推定位置、その他に門の一部ではないかと思われるところも見つかっております。

 その他にですね、掘立柱(ほったてばしら)の建物、先ほどの礎石の建物とは違いまして、今度は地面に穴を掘りまして、そこに柱を立てて埋めて固定する、というタイプの建物が出ております。

 掘立柱の建物というのは、可能性としては、庵原郡(いはらぐん)、昔の廬原(いほはら)の国の後を継いでこの辺りが庵原郡と呼ばれていた時期があるんですけれども、その時期にもですね、役所に関わる建物ではないかという風にも想定されます。」

「そうしますと、当時の官庁街でもあったわけですか。」

「そうですね。このあたりにあった庵原郡が、それが時にもこの掘立柱の建物跡は、中にも柱が立っております。

 総柱(そうばしら)という風にこういったものを呼びますけれども、これは、中に重い物を入れるために柱の数が多くなっているということですので、あるいは倉庫、それからいわゆる蔵がこう立ち並んでいるような状態ではないかと思われます。」

「その時代から、この地域というのは栄えていた場所なんですね。」 

 

「そうですね。かなりこの地域の中心的なエリアだったという風に考えて宜しいかと思います。」

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税理士法人森田いそべ会計
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代表 森田行泰
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