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6.保蟹寺(ほうかいじ)を後にして

(清水歴史探訪より)

 

かつて、この地域を襲った流行り病。苦しむ人々を救ったと伝わる薬師如来は、蟹に乗ってその姿を現しました。その後も、地域の人々や子供たちの成長を見守り、時には戦争の恐怖に怯える幼子を慰めたであろう、その姿は、今も黄金色の厨子の中に大切に祀られています。

 

 お話は、富谷山檀家総代の設楽 斉(しらくひとし)さんと、住職の日沢義孝(ひのさわぎこう)さんでした。

 

清水歴史探訪~~清水歴史探訪~~清水歴史探訪~~

 

お相手は、石井秀幸でした。

この番組は、JR清水駅近くさつき通り沿いのいそべ会計がお送りしました。いそべ会計について、詳しくはホームページをご覧ください。

その他・保蟹寺で気になったこと
 
 清水歴史探訪では取り上げられなかった、保蟹寺で下記の気になったことを記載します。
 
 
     その1、七夕豪雨の爪跡
     その2、屋根は『胴瓦』
     その3、鐘楼の鯱(しゃちほこ)
     その4、(薬師)十二神将
     その5、そもそも『薬師如来』とは
     その6、駿河の十二薬師
 
 以上の6つであります。順を追って説明させて頂きます。
その1、七夕豪雨の爪痕
 昭和49年(1974)7月7日に旧清水市を中心に七夕豪雨が起きました。巴川が各地で決壊・氾濫が起き、その結果、静岡鉄道の清水市内線が廃止されたり、浅間山のリフトが廃止されました。まさか、巴川から遠く離れた「保蟹寺」が、七夕豪雨の被害にあったとは思いもよりませんでした。
 七夕豪雨は単に、巴川や安倍川の氾濫だけでなく、各地でがけ崩れや土砂崩れが起きていたのです。「保蟹寺」も土砂崩れの被害に遭い、薬師平とよばれる地名もある裏山が崩れ、本堂の床下は土砂で埋まってしまったそうです。その結果、その後の改修工事で裏山だけでなくお寺の横の『薬師沢』もコンクリートで固められてしまったそうです。『薬師沢』にたくさんいた蟹も急激に減ってしまったそうです。
その2、屋根は『胴瓦』
 簡単には気がつきませんが、本堂の屋根が『胴瓦』なのです。『胴の瓦』というと「高級品で気品が高い」というイメージが強いのですが、和尚さんに言わせると、①一番安い胴瓦だそうで②トタンのように雨音が強くてやかましく③夏は45度に達する程暑いそうです。しかも、最近は④酸性雨の影響により穴が開きそうと、必ずしも自慢の『胴瓦』とは言えないようです。
 なお、鐘楼も『胴瓦』だそうです。
その3.鐘楼の鯱(しゃちほこ)
 鐘楼の上に、瓦でできた鯱(しゃちほこ)があるのに気がつきました。鯱(しゃちほこ)というと、名古屋城の『金の鯱』が有名ですが、いずれにせよ一般的には天守閣にあります。鐘楼の上に鯱(しゃちほこ)とは少しぜいたくではありませんか?聞けば、この鯱(しゃちほこ)40~50kgもあるそうです。鐘楼の中心に重そうな鐘がぶら下がっており、この鐘のお蔭で鐘楼のバランスがとれているそうです。
鐘楼
鐘楼の上の鯱(しゃちほこ)
名古屋城の金の鯱
熊本城の鯱
その4、(薬師)十二神将
 蟹に乗った薬師如来像の横に気になる像がありました。数えてみると六体あります。左右合わせて十二体であります。和尚さんに聞いてみたら、十二神将とのことであります。実は、十二神将は薬師如来を守るためにあったのです。

 十二神将について調べてみたら 

 十二神将(じゅうにしんしょう)は、仏教の信仰・造像の対象である天部の神々で、また護法善神である。薬師如来および薬師経を信仰する者を守護するとされる十二体の武神である。新薬師寺にある塑像の十二神将像がよく知られる。

 十二神将は、薬師如来の十二の大願に応じて、それぞれが昼夜の十二の時、十二の月、または十二の方角を守るという。そのため十二支が配当される。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

 

と書かれておりました。せっかくですから、新薬師寺の十二神将を見てみました。

その5、そもそも『薬師如来』とは
 よく『仏さん』という言葉を聞きます。この『仏さん』の意味がわかりますか?では、『仏さん』と『如来さん』や『菩薩さん』とはどう違うのでしょうか?
 まず、仏さんですが一般的には死んだ人のことを言いますが、もともとは『仏陀(ぶっだ)』であります。『仏陀』とは『悟りを開いた人』のことであります。
 したがって、本来は「仏」とは、仏教における最高の存在であり悟りを開いた者(如来さん)であります(狭義の仏)。しかしその後に、仏陀に準ずる修行中の菩薩さんや、如来さんが姿を変えたお姿の明王さんや、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道という六道の天部にいるされる弁財天・大黒天・毘沙門天さんなど含めた、仏教の信仰、造像の対象となる尊格を、広義の解釈として「仏」と総称するようになったのです。
 では、それぞれの仏さんを見てみましょう。
如来さん
 
 如来とは、梵語とも呼ばれるサンスクリット語の『तथागत(tathāgata タターガタ)』の漢訳で、「人々を救うためにかくのごとく来たりし者」という意味であります。
 一般的なお姿ですが、お釈迦様が悟りを開いた後の姿が基本で、「衣をまとっただけの質素な姿」であります。装飾品はありませんが、大日如来さんだけは例外で冠を冠っております。また、薬師如来さん以外は持ち物を持っておりません。 
釈迦如来
仏教の開祖、お釈迦様であります。上座部仏教(いわゆる小乗仏教)では唯一の仏とみなされております。
阿弥陀如来さん
西方極楽浄土にいるといわれております。
大日如来
真言密教の教主、仏の中の仏とか仏の王様と呼ばれる。
菩薩さん
 

 菩薩(ぼさつ)とは、サンスクリット語(梵語)名のボーディ・サットヴァ(बोधिसत्त्व [bodhisattva]) の音写であります。菩薩とは如来に成ろうとする修行者のことであります。菩薩さんは修行中ではありますが、人々と共に歩み教えに導くということで、庶民の信仰の対象となっていきました。

 お姿は、お釈迦様が修行中で王子だった頃の姿が原形なので、「冠や首飾り、イヤリングなど装飾品を身に付けた姿」が多いです。髪型は高く結い上げておりますが、お地蔵さまだけは例外のようです。

弥勒菩薩
兜率天(とそつてん)の内院に住み、釈迦(しゃか)入滅から56億7000万年後の未来の世に仏となってこの世にくだり、衆生を救済するという菩薩。
文殊菩薩
文殊菩薩は、般若=智慧の仏さんである。本来は悟りへ到るための智慧であったが、一般的な知恵の象徴ともなり、これが後に「三人寄れば文殊の智恵」ということわざを生むことになった。
観音菩薩
世の人々の音声を観じて、その苦悩から救済する菩薩。日本では一番信仰を集めている仏さんであります。
地蔵菩薩
地蔵菩薩とは、釈迦が亡くなってから、弥勒菩薩が現れるまでの無仏になる間、すべての生き物を救うといわれている菩薩で、道端などによく見られるお地蔵さまのことです。
 
不動明王
明 王
 
明王とは、呪文の王者の意味をもつ,もろもろの悪魔を調伏し,仏法を守る守護神であります。全ての明王は、大日如来が仏教に帰依しない強情な民衆を力づくでも帰依させる為、自ら変化した仏であるとも伝えられております。そのため、仏の教えに従順でない者たちに対して恐ろしげな姿形を現して調伏し、また教化する仏として存在しております。一般的に、武器を持っていたり、目や手の数が多かったり、際立った特徴があります。
天 部
弁財天
大黒天
毘沙門天
韋駄天
帝釈天(たいしゃくてん)
奈良の浄瑠璃寺の薬師如来
薬 師 如 来 と は
 
 では、薬師如来について記載します。まず、現世の仏様が釈迦如来であります。これに対して、来世の仏様が阿弥陀如来であります。阿弥陀如来は西方極楽浄土に居ると信じられ、未来の仏様であります。
 これに対して、薬師如来は我々が生まれる前の世界である東方浄瑠璃浄土に居ると信じられております。薬師如来は過去の世界から我々を現世に送り出し、現世の苦しみを救済してくれるのです。
 浄瑠璃というと人形浄瑠璃を連想する方が多いと思いますが、薬師如来の申し子「浄瑠璃姫の物語」の語り方が『(古)浄瑠璃』と呼ばれ、後の人形浄瑠璃や義太夫、江戸歌舞伎に結びつくのです。
 浄瑠璃はもともと仏教用語で、不純なものは全くない澄み切った瑠璃の大地、建物はみんな七宝で造られた東方はるかな仏教世界の浄土なのです。 
 薬師如来は古代では一番信仰された仏さんでした。現世利益が強くあまり難しい宗教行為を必要としなかったことも人気が出た要因でしょう。
 古代の寺院建立の発願は病気平癒が多く、国家鎮護の寺院建立は飛鳥時代にはありませんでした。薬師如来を本尊として建立された寺院は個人の病気平癒を祈願したものが多く、例えば、「法隆寺の本堂の薬師如来像」は聖徳太子の父君・用明天皇の病気平癒祈願のため、「薬師寺の本尊薬師如来像」も後の持統天皇の病気平癒であります。
日光菩薩・月光菩薩を脇侍とした薬師寺の薬師三尊
 薬師如来は正式名を、薬師瑠璃光(るりこう)如来といい、そのお姿は、「右手が施無畏(せむい)印、左手が与願(よがん)印で、その左手の掌の上に「薬壷(やっこ)」を乗せておられますが古代の薬師如来像は薬壷を持っておりません。とはいえ、天平時代の作にも薬壷を持った像があります。
 薬師寺のように日光菩薩・月光菩薩を脇侍とした薬師三尊像として安置される場合や眷属(けんぞく:脇侍、一族、臣下)として十二神将像をともに安置することが多いようです。 
 最後に、家康は薬師如来の化身として久能山東照宮の薬師堂に祀られておりましたが、明治の廃仏毀釈により薬師堂は日枝神社となり、薬師如来は近郊の寺に移されたと聞いております。
法隆寺金堂の薬師如来坐像
薬壺を持っておりません
薬師寺・薬師如来坐像
薬壺を持っておりません
法隆寺西円堂の薬師如来坐像
薬壺を持っております
獅子窟寺の薬師如来坐像
薬壺の代わりに、宝珠(ほうしゅ)を持っております
その6、駿河の十二薬師
 最後に、駿河の十二薬師であります。帰り際、和尚さんから『駿河近郊 十二薬師縁起』という冊子を頂きました。中を見たら、駿河近郊=清水にある薬師如来を調べた冊子のようである。何ページかあるようなので、ページを改めて次ページ以降に掲載いたします。
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税理士法人森田いそべ会計
〒424-0816
静岡市清水区真砂町4-23
TEL.054-364-0891
代表 森田行泰
税理士
社員 磯部和明
公認会計士・税理士

1.各種税務相談・税務申告
2.記帳業務
 3.給与計算・決算指導

■東海税理士会所属
■日本公認会計士協会所属
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