ところで、港の中であまり一般の目には止まらないのに重要な仕事が、荷役(にやく)作業です。
「こちらの部屋には、何か機械類ですとか、道具類が並んでいますね。」
「そうですね。こちらの部屋で清水の港の仕事の様子ですね、特に明治から昭和にかけての、荷物の積み下ろし『荷役(にやく)』と言うんですけれども、それを紹介しております。こちらを最初にご覧になってください。今ではちょっと見ることが出来なくなってしまったんですけれども、当時の荷物の積み下ろしというのは、人力ですね。こういった『パイスケ』という風にいわれた人が、道板(みちいた)といいまして、岸壁と船とを結んだ板の上を天秤棒で荷物を担いで行ったり来たりしながら、働いていました。」
ぱいすけ(パイスケ)
「パイスケ」、この不思議な言葉の語源は、外国人がこれを見て「バスケット:basket」と発音したのが訛って「パイスケ」となったといわれている。
これは、篠竹などで作った竹ひごを編んだ円形の竹籠(たけかご)のこと。鋳物業とくに中小の企業では昭和40年代前半までよく使用されていた。大小の籠があり、補強として籠の底に鋼板が用いられていた。主にキュポラ熔解材料など(たとえば、銑鉄、鋼材、戻り材(クズ鉄も含む)、石灰石、合金材料、コークスなど)をこれに入て運び投入順に重ねて並べ準備していた。また、籠の大小によってコークスの重量が調整できる便利さも兼ね備えていた。
「重労働ですね。」
「かなりの重労働だったと思いますね。今ここで石炭も積んでいるんですけども、これを両手で持って行ったり来たりするんですが、かなり大変だったと思いますね。」
「今とはかなり効率も違いますね。」
「違いますね。全部人力で行っておりましたので。」
「さあ、そしてそれからどういう風になってくるんでしょうか。」
「こちらは模型なんですけども、テルファーという風に呼ばれております。今、エスパルスのドリームプラザの海側の所に、網あみのこう、なんていうんですか、機械が縦30メートルぐらいありますかね、長さ30メートルぐらいある、それが残っておりますけども、これ国の登録文化財に指定されています。
昭和3年ころですか、今だからもう80年以上前ですね、設置されました船から荷物をそのまま引っ張り上げて、臨港線といいまして、貨車がすぐ下を通っておりましたので、その貨車に直接積むことができるようにした機械になりますね。」
テルファー
国鉄清水港駅に昭和3年(1928)に設置されたクレーンで、接岸する貨物船の積荷を吊り上げ、レールで移動し貨物列車に積み込んでいた。現在はドリームプラザ横に保存されている。
「今ドリームプラザの海側の所に、まるでオブジェのような感じでドーンと建っているんですけれども、あれは荷役用のクレーンだったんですね。」
「そうですね。若い方は、コンサートをやるときにライトをつけるためのものか、という風に思っていらっしゃる方もいらっしゃると思うんですけれど、あれはクレーンです。」
「ドリームプラザのそのクレーンの直前のところまで、波打ち際来ていますけれども、あの辺りに船が着いたんですか。」
「そうですね。あの辺りに船が着いていました。意外と知られていないのは、あのクレーンができたことによって、一日かかっていた荷物の積み下ろしが、40分~50分でできるようになったということです。」
「これは、相当な省力化ですね。」
「かなりの短縮になってましたね。」
「こういうクレーンというのは各地の港にあったんですか。」
「そうですね。日本全国の中で、クレーンがあったのは、テルファークレーンですね。
「産業遺産としても貴重なものになっているわけですね」
「そうですね、かなり珍しいものですね。」
清水港の荷役能力を飛躍的に高めたテルファークレーンは、国登録有形文化財のほか、静岡市景観重要建造物・日本機械学会の機械遺産にも認定されています。